第1057号 塚越寛さん、伝記本出る その弐
2024.10.21
伊那食品工業へ入社
20歳になり健康を取り戻すも就職活動は門前払いの日々。伊那食品工業の親会社にやっとのことで就職が決まる。
「どんな仕事でもいい。働けるだけで有難い」
1年の働きぶりが評価され、前身の伊那化学寒天へ社長代行として出向。赤字まみれの掘っ建て小屋。10数人の社員。劣悪な環境。ほぼ手作業の重労働。悪臭。
「とんでもないところに来ちゃったなと思いました。」
<小林コメント>
運命の伊那食品工業の入社。今でこそ名うての「いい会社」と評される同社だが、65年前は今にも潰れそうな貧乏工場だったのです。だから利益があれば幸せ軸の「いい会社」ができるというのは間違いという塚越さんの言説が極めて説得力を増して迫ってきます。
なんと立て直しはリストラ
人が嫌がる仕事を自ら進んでやった。持ち前の人懐っこさと誰よりも働き者だったことで年上の従業員も若干21歳の若者を社長代行として認めた。
立て直しに着手。最初に行ったのが不良社員4名の解雇。残った従業員の信頼を得るが人手不足、人は集まらない。
「これ以上の底はねえ。だからこれ以上落ちることもねえ。あとは上がるだけだ。夢がある。そう思えば力も出る。」
「みんなでやれば何とかなる。こんな会社に残ってくれた人たちのために、一生懸命こう。オレの天職はきっと寒天屋なんだ」
<小林コメント>
あの塚越さんがリストラをしたとは驚きでした。しかし、経営の軸を変えていくときには、やはりこうした手段もありなのでしょう。業績軸から幸せ軸へ舵を切る時に、実際に血を入れ替えるような人材の入れ替えは、よく見受けられる話ではあります。どん底だけどみんなでやれば何とかなる、というくだりは、伊那食品工業が大事にしているという「みんなでやる」という文化の根底がここにあったのだとわかりました。そして、自身の仕事を天職と思うということ、これにより生き方、働き方が天命と一致することが図られるのだと改めて気づきます。
研究開発は当初から欠かさず
当初から研究に没頭。
「何かいい方法があるはずだ。お金をかけなくとも、もっと効率よく作れる方法があるはずだ」
作業軽減のための設備を自前で設計し工作。社員は喜び少しずつ会社が明るくなっていった。
寒天ではない粉末ジュースがヒット商品に。
現場もやる、営業も納品もやる、事務もやる、夜は研究もやる。人の二倍、三倍の仕事をこなす。
1962年、5年で黒字経営へ以後48年増収増益へ
<小林コメント>
成長の種まきを怠らないとして新商品開発のための未来投資を怠らない同社ですが、それも経営者になったときから実践していたのです。お金がなくてもできる工夫を重ねていったのです。そして率先垂範していく姿勢。その愚直な態度に社員たちが心を合わせていったのです。5年で黒字化とはどれだけ努力したのかということが偲ばれます。 ~以下次号へ続く
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