第1038号 対抗軸ではない「利己」と[利他]
2024.5.27
「利己と利他は対抗軸ではない」
先日、出席した学びの場でその識者は語られていました。禅問答のような、この問いかけがすっかり頭に残ってしまい、その真意はどこにあるのか探求をしています。
ヒントとしてその関係は「扇」と講釈がありました。
扇が閉じていると左右の端は揃っています。しかし、開くと左右は離れていき、最大180度近く広がっていきます。あたかもそれは真反対にある関係にみえますが、扇の要でしっかりと繋がっているのです。繋がっているから、涼風を仰ぎ起こせるという目的が叶います。
要とは何か
要とは軸のことです。このことについては前号でも触れたとおりです。
自利利他という言葉があります。その意味するところは「自らの悟りのために修行し努力することと、他の人の救済のために尽くすこと。」 です。 他人の幸せ・他人の利益のために修行・努力することが、自らの利益にかなう、ということです。
それが生きていて実現できたと弟子に伝えたのが孔子でした。
子曰く、吾十有五而志乎学、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲不踰則
「孔子は言われた、15歳で学問に志し(志学 しがく)、30になって独立した立場を持ち(而立 じりつ)、40になってあれこれと迷わず(不惑 ふわく)、50になって天命をわきまえ(知命 ちめい)、60になって人の言葉が素直に聴かれ(耳順 じじゅん)、70になると思うままにふるまって道をはずれないようになった(従心 じゅうしん)。」と有名な言葉を残しました。
これがまさしく自利利他、扇が全開している状況ではないかと考えさせられます。
50年かけて宿った命を天命に沿わすよう人間的に成長して、天命を全うして使命を果たし還暦を迎えたのであれば、周囲に耳を傾けるような行動が自然とはかられ、10年、その生き方を貫くと、遂には自己中心的に生きても、それは利他の境地に達していると言っているのです。
それが最上の「忘己利他」という状態の実現であるということもできるでしょう。
こう考えてくると、確かに利己と利他は対抗軸ではないということに理解ができます。
扇の要が極めて重要
そのためには、何を扇の要に据えるのかということが、極めて重要だとわかります。
軸を「業績」にしたら、とたんに利己と利他のバランスは崩れ、やがて扇子は利己のほうに引き裂かれてしまうという様が容易に想像できます。
軸を「満足」にしても、うまくいかないと考えられます。自己満足という言葉があるように、満足軸では自己中心にバランスは傾きます。そして一定の満足をした段階でそれ以上の満足を得ようとすると不幸という反転が起きるのです。食欲という満足を求め続けていけば食べ過ぎ肥満となり健康を害してしまうのです。「満足」軸では、いずれどこかで辻褄が合わなくなってくるのです。
これに対して「幸せ」は、自己幸福という言葉がないように、究極の4つの幸せ(人に愛されること・人にほめられること・人の役に立つこと・人に必要とされること)においても、すべて他者という人との関り、すなわち利他が不可欠になるのです。
ただし「幸せ」の中身は人それぞれであることは確かです。孔子が天命に沿うとしたように、それは天命すなわち良心に基づく「幸せ」であることが扇の要としては求められるのです。
良心に基づく「幸せ」という軸で繋がっていると利他と利己は調和して、物事が理想的に成就されると解釈できました。幸せ軸という要は、改めて最善、最強であると確信に至るのです。
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